教育のあり方について-高校必須科目未履修問題から [子育て・教育]
全国各地の公私立高で必修科目が履修されていな実態が明らかになり、マスコミなどで大きく取り上げられている。
教育に係わったものとして何とも情けない。
教育再生会議も発足した。ここでも目先の学力やいじめ等の行き当たりばったりの話し合いのように感じてならない。
戦後の昭和30~40年代頃から、子どもが大変だということで受験科目を減らしたり、何か間違った思いやりや平等感が教育をおかしな方向に向けてしまったとしか思えない。
私の子どもの頃(すぐ年寄りがいうことだが)、中学から公立高校への受験は9科目、私立は5科目の入試だった。
特に公立高校は9科目900点満点で、いわゆる芸能教科と呼ばれる音楽・図工・体育・技術家庭の点数も同等に扱われていた。
いつのまにか主要科目?と言われる国語・社会・数学・理科・英語の5科目になり、私立は3科目という学校が多くなってきた。
大学の入試科目も同様の傾向である。
その結果、最近の若者は常識的なことが知らないのも当たり前である。
受験に必要のない科目は手を抜き(多くの高校も)、目先の受験のためだけの勉強しかしてこない若者が多くなってしまったのは当然である。そして大学に入っても勉強せず遊びほうけている学生も多いようだ。
一昨日から報じられている高校の教科の未履修の問題も学校自体が教育の本質を忘れ予備校化して、本来の公教育の子どもを人として育てる視点が抜けてしまった結果であろう。
私は、学校(特に義務教育)は知識だけを学ばせる場ではなく全人格を育てる場と捉えてきた。よく知・徳・体をバランスよく育てるのが教育だといわれている。
現在は、知(そのうちの狭い意味での学力)しか重点にされておらず、徳(心の教育)や体(体力のない子どもの増加)についても多いに議論し、教育の本質である家庭・学校のあり方について社会全体で考えてきたい。
特に教育界は改めて未来を担う子どもの教育について真摯に議論を深め、文部科学省や教育再生会議等にも積極的に現場の問題・教育現場の考える未来の学校のあり方について提言して欲しい。
学校が予備校化するのは良くないですよね。
私は去年大学入試で英・数・国の3教科だけ必要だったので、高校の日本史の授業が「余計だな」と感じていました。けれど大学に入ってその時の知識が活きています!
by (2006-10-26 19:57)
子どもの頃・若い頃はいろいろなことを学ぶのがいいですね。
きっと視野が広がり、生き方も多様になってくるのでは・・・。
*コメントが1つしか見えません。後の2つはどうしたのでしょう?
by MASAOGA (2006-10-27 18:37)
教育の本質に付いては、1.教育は哲学 2.教育とは国家社会の求める人間像の育成 3.教育と研修とは同一 4.我が国の教育は憲法規定の実現策等の、諸説が錯綜して、学校・社員・社会人等の教育現場が混乱しています 公立学校での君が代斉唱・日の丸敬意強制への、論旨整合性の無い主張が飛び交って、被教育者を戸惑わせています
この最大の原因は、教育とは我が日本国憲法規定実現策としての社会諸制度の一形態、であることの失念・無視のためです
我が日本国憲法は、国家社会諸制度の目的は、国民各自の健康で文化的な生活実現策と規定(前文・13・25条他)しますから、この観点からの教育の本質理解が必要です
然る時は、1,「未成熟構成員(国民・所属員)への自立能力獲得助力策」と解さねば成らないことになりますから、教育=研修との観点は、憲法違反となります 研修とは団体行動決定論との団体の効率的運用策の観点からの、自我抑圧策だからです 2,教育は哲学、との見解も、教育は社会史制度の一形態との実定法上の概念と矛盾します
尚、我が国教育の概念は、我が日本国憲法特有の生存権的基本権を前提にしますから、我が日本国民以外には理解されにくい概念で有ることの理解が必要です
敗戦後の今日の経済繁栄の基礎を気づいた、安全神話との世界で唯一の、究極の効率的生産方式確立も、我が日本国特有の教育観の賜です
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by A・K(アック)社会制度存在意義研究所 (2007-05-26 21:26)