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太陽のプロミネンス [趣味]

 Hαフィルター付きの望遠鏡で撮った太陽をいろいろな条件で現像・編集すると
太陽のいろいろな様子が見えてきます。


                                          (9月21日撮影) 

太陽の粒状班 [趣味]

 Hαフィルター付きの望遠鏡で撮った写真を現像・編集すると粒状班が見えてきます。

[粒状班]
 粒状班とは、は太陽の内部からのガスが湧き出したり、沈み込んだりしているところで、
太陽全面に見えます。


                                     (9月21日撮影)


太陽のプロミネンス [趣味]

 東大和市郷土博物館に、天体望遠鏡のHαフィルターが導入され太陽の観察が
楽しくなりました。

 Hαフィルター付きの望遠鏡で太陽を見ると、プロミネンスや太陽表面の様子
などが詳しく見られるのです。
 現在、太陽の活動は不活発な時期なので黒点も少なく、プロミネンスも小さい
ものが多いのですが、今後太陽の活動が活発になる頃が楽しみです。

[プロミネンスとは]
 太陽の縁から巨大な炎が燃え上がるように見えることがあります。
これがプロミネンスとよばれる水素ガスの雲で、黒点の活動が活発なときに多く
みられます。


                                     (9月21日撮影) 


清水寺(本堂と舞台) [旅行・散策]

◆本堂
国宝、江戸初期再建
清水寺本尊十一面千手観音を祀り、「大悲閣」ともいいます。

◆本堂の舞台
舞楽などを奉納する正真正銘の舞台で、東西両端の翼廊は「楽舎」です。
この舞台からの眺望がすばらしいですね。


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清水寺(三重塔・経堂・田村堂) [旅行・散策]

◆三重塔 
江戸時代初期、重要文化財。
平安初期847年創建と伝え、現塔は古様式に則って寛永9年(1632)の再建。
日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱。

◆経堂(きょうどう)
江戸時代初期、重要文化財。
本堂らと共に寛永10年(1633)の再建。
名前のとおり仏教の一切経を宝蔵している。

◆田村堂(開山堂)
江戸時代初期、重要文化財。
寛永10年(1633)の再建。
三間四方、入母屋造り、桧皮葺き。
繧繝(うんげん)彩色という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ
組み物は朱や緑など五色で彩られています。

           ---音羽山 清水寺【公式ホームページ】より---


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三十三間堂 [旅行・散策]

 本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれています。
正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院だそうです。
 もともとは後白河上皇の離宮・法住寺殿の広大な敷地の一角にあり、
長寛2年(1164)後白河上皇が平清盛に命じて造らせたものだそうです。
 かっては周囲には五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇ってたそ
うですが、 度重なる震災ですべてを損失、現在残っている本堂は文永
3年(1266)に再建されたものです。

 本像の千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50列で500体ずつ
の千手観音立像が長大な堂内をびっしりと埋め尽くすようにして立って
います。


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金閣寺(鹿苑寺) [旅行・散策]

  応永4年(1397)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡
に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。
 応永15年義満が没するまで政治の中心となりますが、彼の死後、その子義持により
禅刹に改められ、義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになりました。
 大半の建物は応仁の乱などに焼失し、北山文化唯一の遺構であった金閣も昭和25年
(1950)に一人の学僧によって放火され焼失してしまいました。
 現在の建物は昭和30年に再建されたもので、昭和62年には、金箔が全面張り替えられ、
きらびやかな姿がよみがえられました。

 西に衣笠山、背後に左大文字山をひかえた景勝の地で、京都市の北部に連なるなだら
か山なみは、北山の名で一般に親しまれています。
 この北山(キタヤマ)につながる金閣寺の周辺一帯だけを特に北山(ホクサン)と呼ぶこ
とがあります。


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今宮神社 [旅行・散策]

 大徳寺の北側にある神社です。

 平安遷都後、都に蔓延した疫病を鎮めるために朝廷が建てた社がこの神社の
起源だそうです。

 毎年4月第2日曜に行われる厄除けの「やすらい祭」
が有名で、赤毛や黒毛の鬼を従えた行列が笛や太鼓に合わせて「やすらい花や」
と囃しながら踊るそうです。その傘の中に入れば、その一年の厄疫を免れるとい
われています。


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大徳寺塔頭「高桐院」細川ガラシャの墓石 [旅行・散策]

 北側には、細川家歴代の墓が並びその中に「細川ガラシャの墓」もありました。
細川ガラシャの墓石となっているのは当時天下一と呼ばれた利休愛蔵の灯籠だそ
うです。


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大徳寺塔頭「高桐院」庭園 [旅行・散策]

 「高桐院」の庭園は、四季折々の自然の風雅を生かした庭です。
秋、紅葉のころ又尋ねたいところです。


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大徳寺塔頭「高桐院」 [旅行・散策]

 大徳寺塔頭「高桐院」は、細川忠興が慶長6年(1601)に建立しました。
書院は利休屋敷から移したもので、茶席「松向軒」は秀吉が北野大茶会を催した
時の移築したようです。

 紅葉の頃には、是非尋ねたいところです。

(参道)


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大徳寺・龍源院の庭 「東滴壺」 [旅行・散策]

(東滴壺)
 方丈の東側にある東滴壺は、我が国では最も小さく、底知れぬ深渕に吸い込まれそうな
感じのする格調高い石庭です。

  
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大徳寺・龍源院の庭 「竜吟庭」 [旅行・散策]

(竜吟庭)
 方丈の北にある竜吟庭は、青々とした杉苔は洋々と果てしない大海原を現わし、
石組が陸地を表わしているそうです。


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大徳寺・龍源院の庭 「一枝担」 [旅行・散策]

(方丈前石庭)
 この方丈前石庭は「一枝担」といわれます。
手手前から亀島、一枝坦、蓬莱山、鶴島、白砂は大海を表しています。

 樹齢七百有余年を経た山茶花「楊貴妃」が真紅の花を咲かせ有名でしたが、
残念なことに昭和55年、樹齢つきて枯れてしまったとのことです。


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大徳寺・龍源院の庭「こだ庭」 [旅行・散策]

 龍源院は、大徳寺南北派の本庵で、永正年間(1504~21)に能登の畠山氏、豊後の
大内氏らが創建したそうです。
 表門、本堂は(ともに国重文)創建当時のもので、室町時代最古の禅宗方丈建築
です。
 また書院には豊臣秀吉と徳川家康が対局したという基盤が展示されています。

 龍源院の方丈は庭々に囲まれ、こだ庭
                              南の方丈前には「一枝坦」
                              北に枯山水の「竜吟庭」、
               東側には「東滴壺」
というそれぞれおもむきのある庭があります。

(こだ庭)
右に「阿の石」左に「吽の石」があり、阿吽の石庭ともいいます。
この石は昔、聚楽第のものと伝えられています。


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