[動画]奈良-2:斑鳩-西の京方面 [動画(ビデオ)]
二日目:一日、雨でした。
法隆寺 - 夢殿 - 中宮寺 - 薬師寺 - 唐招提寺 -
法隆寺 - 夢殿 - 中宮寺 - 薬師寺 - 唐招提寺 -
[動画]奈良-1:明日香方面 [動画(ビデオ)]
一日目:
高松塚古墳 - キトラ古墳 - 亀石 - 石舞台古墳
- 橘寺 - 飛鳥寺 -
高松塚古墳 - キトラ古墳 - 亀石 - 石舞台古墳
- 橘寺 - 飛鳥寺 -
[旅行:奈良-13] 東大寺 [旅行・散策]
大仏さまで知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は
世界最大級の木造建築物です。
天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、
その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が
完成。
都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、
興福寺とともに栄華を誇りました。
現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。
世界最大級の木造建築物です。
天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、
その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が
完成。
都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、
興福寺とともに栄華を誇りました。
現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。
[旅行:奈良-12] 興福寺 [旅行・散策]
京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身で、飛鳥を経て、
和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、
興福寺と名付けられたという。
以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
たびたびの火災によって焼失によって被害をうけた。
国宝建築物をはじめ、多くの仏教彫刻の名品を所蔵している。
(猿沢池)
(南円堂)
(工事中の中金堂)
和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、
興福寺と名付けられたという。
以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
たびたびの火災によって焼失によって被害をうけた。
国宝建築物をはじめ、多くの仏教彫刻の名品を所蔵している。
(猿沢池)
(南円堂)
(工事中の中金堂)
[旅行:奈良-11] 唐招提寺 [旅行・散策]
唐招提寺は、苦難の末に来日を果たされた唐の高僧・鑑真和上
が、759年戒律を学ぶ人々の修行の道場として創建されました。
当初は講堂や経蔵・宝蔵があるだけでしたが、8世紀後半、
弟子によって金堂が完成。その荘厳な美しさは奈良時代の代表的
な建築物として広く知られています。
豊かな自然に包まれた静かな境内には、平城京の面影をたたえる
伽藍や仏像など、数多くの国宝や重要文化財があり、時を越えて多
くの人々に愛され、また感動を与えてきました。
が、759年戒律を学ぶ人々の修行の道場として創建されました。
当初は講堂や経蔵・宝蔵があるだけでしたが、8世紀後半、
弟子によって金堂が完成。その荘厳な美しさは奈良時代の代表的
な建築物として広く知られています。
豊かな自然に包まれた静かな境内には、平城京の面影をたたえる
伽藍や仏像など、数多くの国宝や重要文化財があり、時を越えて多
くの人々に愛され、また感動を与えてきました。
[旅行:奈良-10] 薬師寺 [旅行・散策]
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)
更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成
を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものだそ
うです。(718)
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
雨の中の薬師寺です。
更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成
を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものだそ
うです。(718)
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
雨の中の薬師寺です。
[旅行:奈良-9] 中宮寺 [旅行・散策]
中宮寺は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、
聖徳太子ゆかりの寺院です。
聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を
寺としたと伝えられています。、
(夢殿の屋根が見える)
聖徳太子ゆかりの寺院です。
聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を
寺としたと伝えられています。、
(夢殿の屋根が見える)
[旅行:奈良-8] 法隆寺・夢殿 [旅行・散策]
二日目は朝から雨でした。
法隆寺
聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる法隆寺です。
現存する世界最古の木造建築群です。
1993年12月に世界文化遺産に指定されただけでなく、敷地内に建つ125棟の
建造物のうち、国宝が17件、重要文化財が35件を占めています。
さらに、寺院に納められている仏像・仏具のほとんどが、現存最古と言われる
飛鳥・白鳳・天平時代の作です。
夢殿
聖徳太子を供養する堂として建てられた堂で、文字通り八角形をした仏堂です。
内部には太子ゆかりの遺品が集められています。
法隆寺
聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる法隆寺です。
現存する世界最古の木造建築群です。
1993年12月に世界文化遺産に指定されただけでなく、敷地内に建つ125棟の
建造物のうち、国宝が17件、重要文化財が35件を占めています。
さらに、寺院に納められている仏像・仏具のほとんどが、現存最古と言われる
飛鳥・白鳳・天平時代の作です。
夢殿
聖徳太子を供養する堂として建てられた堂で、文字通り八角形をした仏堂です。
内部には太子ゆかりの遺品が集められています。
[旅行:奈良-7] 飛鳥寺 [旅行・散策]
6世紀から7世紀の後半にかけて権勢を誇っていた蘇我氏の氏寺で、
596年に創建された日本初の本格的仏教寺院。
710年の平城京遷都に伴い、718年に奈良に移され「元興寺」となり
ましたが、元の伽藍(がらん・寺院の建物の総称)はそのまま残され、
寺院として存続し続けました。
現在は1825年に旧金堂跡地に再建された本堂が残るのみです。
本堂の中に安置されている本尊「釈迦如来坐像(飛鳥大仏)」は609年に
作られたもので、国の重要文化財に指定されています。
面長の顔立ちやアーモンド形の眼など飛鳥仏ならではの表現形式でうす。
(蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔)
596年に創建された日本初の本格的仏教寺院。
710年の平城京遷都に伴い、718年に奈良に移され「元興寺」となり
ましたが、元の伽藍(がらん・寺院の建物の総称)はそのまま残され、
寺院として存続し続けました。
現在は1825年に旧金堂跡地に再建された本堂が残るのみです。
本堂の中に安置されている本尊「釈迦如来坐像(飛鳥大仏)」は609年に
作られたもので、国の重要文化財に指定されています。
面長の顔立ちやアーモンド形の眼など飛鳥仏ならではの表現形式でうす。
(蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔)
[旅行:奈良-6] 橘寺 [旅行・散策]
厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とされ、
太子建立の七ヶ寺の一つです。
建物は何度も焼失し、現在の伽藍は江戸
時代以降のものだそうです。
聖倉殿 特別公開
謎の石造物「二面石」があります。
太子建立の七ヶ寺の一つです。
建物は何度も焼失し、現在の伽藍は江戸
時代以降のものだそうです。
聖倉殿 特別公開
謎の石造物「二面石」があります。
[旅行:奈良-5] 酒船石遺跡 [旅行・散策]
奈良県明日香村にある、いくつかの石造物からなる遺跡。
以前から知られている酒船石に加えて、平成12年の発掘
で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構
を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。
以前から知られている酒船石に加えて、平成12年の発掘
で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構
を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。
[旅行:奈良-4] 石舞台古墳 [旅行・散策]
石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳で、
国の特別史跡に指定されています。
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が
失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出していのだそう
です。
埋葬者としては蘇我馬子が有力視されています。
国の特別史跡に指定されています。
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が
失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出していのだそう
です。
埋葬者としては蘇我馬子が有力視されています。
[旅行:奈良-3] 亀石 [旅行・散策]
水田地帯の民家の横に「亀石」がありました。
微笑んだような表情が愛らしい明日香を代表する
謎の石造物のひとつです。
巨大な花崗岩に亀のような動物が彫られています。
亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死んでし
まった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが
現在の南西へと向きを変えており、亀が当麻の方向
である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むと
いう怖い伝説も残されてるそうです。
微笑んだような表情が愛らしい明日香を代表する
謎の石造物のひとつです。
巨大な花崗岩に亀のような動物が彫られています。
亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死んでし
まった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが
現在の南西へと向きを変えており、亀が当麻の方向
である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むと
いう怖い伝説も残されてるそうです。
[旅行:奈良-2] キトラ古墳 [旅行・散策]
次に「キトラ古墳」へ行きました。
高松塚古墳に次ぐ我が国2例目の壁画古墳で、1983年の調査で
石室内に描かれた極彩色壁画が発見されました。
キトラ古墳は、藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域
に所在する小さな円墳で、7世紀末~8世紀初頭頃に造られたと云われ、
東西にのびる丘陵の南斜面に位置し、墳丘は2段築成で、下段の直径が
13.8m、上段の直径が9.4mです。
石室には、天井・側壁・床面の全面に漆喰が塗られています。
その白い漆喰面に、四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれて
います。
5/19~6/17 には特別公開があるということで事前に申し込みました。
[お土産のストラップ]
高松塚古墳に次ぐ我が国2例目の壁画古墳で、1983年の調査で
石室内に描かれた極彩色壁画が発見されました。
キトラ古墳は、藤原京の南に広がる古代の皇族・貴族などの墓域
に所在する小さな円墳で、7世紀末~8世紀初頭頃に造られたと云われ、
東西にのびる丘陵の南斜面に位置し、墳丘は2段築成で、下段の直径が
13.8m、上段の直径が9.4mです。
石室には、天井・側壁・床面の全面に漆喰が塗られています。
その白い漆喰面に、四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれて
います。
5/19~6/17 には特別公開があるということで事前に申し込みました。
[お土産のストラップ]