日光での自然体験=野鳥 [子育て・教育]
日光には、野鳥も多く見られます。
林の中では、シジュウカラ コガラ ゴジュウカラ アカゲラ コゲラ・・・
川沿いでは、マガモ カルガモ キセキレイ・・・
湿原では、ノビタキ ホオアカ ホオジロ アオジ・・・
などが見られました。
日光での自然体験=熊 [子育て・教育]
日光には、熊もいます。
普段はなかなか見られませんが、今から30年ほど前の5月中頃、涸沼で
遠くから見たことがあります。
今回のフィールドワークでは、熊が木の幹で、爪をといた? ひっかいた?
あとがありました。
日光での自然体験=鹿 [子育て・教育]
子どもたちは、日光に行く前の調べ学習で鹿による自然破壊のことを調べ
ましたが、鹿に出会うことを楽しみにしていました。
歩き始めた林の中には、糞や足跡を見つけましたが出会うことはできませ
んでした。
戦場ヶ原に出て鹿のことを忘れかけてたころ10匹ほどの群に会い、また
2匹の鹿を見つけました。
子どもたちは、野生の鹿を見て嬉しそうでした。
日光での自然体験=チョウ [子育て・教育]
チョウが水辺で1カ所に群がっていました。
子どもたちは、どうしてだろう?と疑問を持ちました。
話し合った予想は
・水を飲んでいる
・栄養をとっている
・集団で水やえさをとっていると安心だから・・・
といろいろな意見が出ましたが、東京に帰ってから詳しく調べるようです。
日光での自然体験=ハルゼミ [子育て・教育]
日光の戦場ヶ原付近の散策では、様々な自然との出会いがありました。
今、日光の林の中は“ハルゼミ”の鳴き声で満ちています。
セミの抜け殻を見つけたり、羽化する場面にも出会いました。
子どもたちは、自然の不思議さをたくさん感じたと思います。
日光移動教室へ [子育て・教育]
昨日、前に勤務していた学校の6年生の日光移動教室へ飛び入り参加してきました。
この学校は、市の博物館の学芸員さんと連携して1~2年の生活科・3~6年総合
的な学習などで地域の自然を教材として学習しています。
移動教室はその発展・一部です。
子どもたちは、今までの学習経験を生かし、日光の自然の中で存分に楽しみ自然を
肌で感じ素晴らしい体験をし、東京では学べない学習をしてきました。
久しぶりに子どもたちと自然の中を歩き、子どもたちの生き生きとした活動を見て、
鋭気を取り戻せた感がします。
「山びこ学校」-無着成恭 [子育て・教育]
雪
石井敏雄
雪がコンコン降る。
人間は
その下で暮しているのです。
この詩は戦後日本の教育の1つの実践記録として話題となった「山びこ学校」の冒頭の詩です。
昨日の夕方、たまたまケーブルテレビで放送されていた番組=ドキュメント[山びこ学校と無着成恭]を見ました。
『山びこ学校』は戦後日本の教育の原点であり、私も教師になる前に読みあこがれた教育実践記録でした。
地域から理解されず、村から出た無着先生が、その後明星学園でも、テスト教育反対を貫いて教職を退き、現在僧職に帰依した人生の後半を紹介していた。
最後に学校で学ぶことは「人間になること」、そして社会の最小単位の「家族」の在り方を学ぶ場だということを述べていました。
学校は知識だけを学ばせる場ではなく全人格を育てる場と捉えていた私は、最近の学校の現状を見ていて改めてこのことを再確認しました。それと今一番難しいことですが、地域(保護者・社会)に学校のあり方・家庭のあり方をもっともっと自信を持って啓発していかねばと強く感じました。
今各学校は多くの課題を抱え・抱えさせられ忙しさに追われています。
各学校の教育目標は人間としてこうなってほしいという願いを『教育目標』として掲げています。
先生方には、あたりまえのことですが常に教育目標を意識して1時間1時間の授業を大切にして欲しいと思います。
がんばって! 先生たち
最近の事件から-親殺し- [子育て・教育]
最近、親を殺すという以前は考えられない事件が多く起こっている。
今日も、ニュースで報じられていた。
少し前までは、介護問題がからんで悲惨なことになってしまったといことが多
かったが・・・。
数年前からまだ学生やニート・ひきこもりの若者(~40歳くらいまで)がこ
ういった事件を起こすのが目立つ。
大学を出ても就職しなかったり、したくても就職できずにいる社会状況もあるが・・・。
就職しても長続きしなかったり、ニート・ひきこもり状況になってしまう若者の一
部がこのような事件を起こす例が多いようだ。
いくら不況の世の中といっても、いくつになっても親がかりの子どもがいるのは
どうしてか?
親も、我が子かわいさから甘やかし育て、子どもの自立をさせないできた結果で
あろう。
子育てとは、「子どもが自立し、将来一人前の社会人として育てていくものだ。」
と私は考える。
しかし、現状は親が甘やかし、子どものためだと思ってしていることが子どもを
だめにしている例を多く見てきた。
すぐ昔のことだと言われるが、私と同年代の人間の多くは「早く大人になりたかった。」
「家を出て親から自立したかった。」と考えていた。
自立して自分で働いて、夢をかなえるチャンスを待ち、結婚してあたたかい家庭
をつくって・・・そんなことを夢みていたものだ。
親と意見が合わず家を飛び出して、一人暮らしをしているものも多かった。
親がうるさかったら自分から自立すればよいのだ。そんな気概のある若者は最近見
られない。親も甘やかし、必死に引き留めるからだろうか
今の学生や若者は、自分にあった仕事がないなどといいながら働かないものも多
い。仕事として自分の夢を実現できるものなどそうそうない。
なぜ、実生活を考えず、年金暮らしの親の収入に頼り、夢を追っている若者にし
てしまったのか。
そういう子どもを生活させることができる豊かな?時代になったのか?
今のままの状態で、家庭のあり方・学校教育のあり方が続くとしたら、さらにこの
ような事件は増えるだろう。
『子育てとはなにか?』『 どうしたら自立する子どもを育てられるか。?』
ということ家庭教育・学校教育について、真剣に考えなければいけない時期であろ
う。
朝の挨拶 [子育て・教育]
私の習慣になっている朝の散歩も4月から時間のゆとりもでき、近所の子ども達の
登校時間に合わせて歩いています。近所のおじさん(おじいさん)になろうと思うか
らです。
角々には防犯協会の方々や保護者の方も立って、子どもたちを見つめています。
しかし、入学式・始業式から1週間ほど経ち、保護者の方の見守る数が減ってきてい
ます。
始業式から1週間という約束での見守りかもしれませんが、保護者自身が子どもを
見守るという意気込みを忘れぬようにしたいものです。
防犯協会の方々は子どもたちに「おはよう。」と声かけしているのですが、元気に
挨拶する子どももいる一方、意外と挨拶が出来ない・無視して過ぎ去る子どもも多い
のです。
学校では当然“挨拶”の指導をしていると思いますが、各家庭ではどうなのでしょ
うか?
地域社会・保護者同士のつながりが子どもを守るのに重要だと言われています。
せめて、保護者自身ができない見守りを地域の人たちがしてくれている感謝の念を
持ち我が子に伝えていれば、子どもたちは自分たちを見守ってくれる人たちに自然と
挨拶をするようなると思います。
各家庭での躾、近隣とのつながりを大切にする親の姿勢が『子どもの安全』につな
がることを再認識したいものです。